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アッカド王国の興亡

 

真の王 アッカドサルゴン 

紀元前4000年前からメソポタミアでは諸都市が出来上がってくるのであるが、

地形的な影響もあり、メソポタミアを統一することは非常に困難でした。

ある街に女神官がいました。実際は子供を産んではいけないとされた女神官でしたが、子供をみごもってしまいます。

仕方なく、彼女はユーフラテス川に籠と一緒に子供を流してしまいます。本来生まれてきてはいけないこの子供は「神明裁判」で吉がでたために人生が好転したとされています。そのあとアッキとよばれる庭師に拾われのち、キシュ市ウルザババ王の酒杯官となり、やがて王権を奪い取ることに成功する。

 

彼の名をサルゴンといいます。

アッカドサルゴンです。またアッカド語ではシャル・キンと呼ばれています。ヘブライ語では「真の王」を意味します。

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かっこいいですね( 一一)

しかし、

彼は王族血筋ではないので、王たる権威というものは持ち合わせていませんでした。

 

そんな彼はウンマ市の王になったのであるが、シュメル統一をもくろむようになりウルク市の王ルガルザゲシの奇襲し、一気に捕虜としてしまい、シュメル統一に成功する。さらに領土を拡大させ、シュメル諸都市を次々と打ち破り城壁を破壊していき、

紀元前24世紀、アッカド帝国を築き上げたのです。

 

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 なぜ彼はこんなにも強かったのだろうか。??

 

主に2つが考えられます。

シュメル語衰退・共通語としてのアッカド語

 

現在のラテン語を想像してみれば容易です。現在ラテン語は死後ではありますが、一部の知識人たちにとってはラテン語を使えるのは一種のステータスになっています。しかし、日常生活で使われることなどまずありません。シュメル語も同じ様な後をたどっていきます。次第に学校ではシュメル語の教育が行われるが日常では使われなくなるようになっていき、アッカド語が広まって行きます。これに乗じてサルゴンアッカド帝国の公用語アッカド語を採用します。

これは民族のアイデンティティの助長につながります。

常備軍

彼には5400人の常備軍がいたとされている。

彼は常日頃からこの5400人兵士と一緒にご飯を共にしていたとされる。同じ釜の飯を食う者たちは信頼関係も生まれ親近感もわくはずだ。訓練した屈強の護衛団をつくりだしていたことが最大の原因であろうと考えられる。常備しておけば、緊急化においても即座に異民族の侵略に対応できたのではないかと考えられています。

 

彼等の暮らし

詳しい統治方法は発揮しとわかっていません。

統治下ではアッカド人とシュメル人が一緒に暮らしていたといいます。実際統治下ではアッカド人とシュメル人の争いはあったのかと言われると、殆ど無く、諸都市で仲良く暮らしていることが多かっかたらしいです。小林登氏子先生の「シュメル」で述べられているように、当時はシュメル版中華思想が存在していらしいです、メソポタミアでは、シュメル人とアッカド人は都市での生活を営んでおり、彼らの住む土地をカラムと呼びます。一方荒廃したその周りの土地をクルと蔑視で呼びました。ここに住む人々は非常に貧しく、遊牧し暮らしていたといいます。つまり、彼らは自らを先進的な民衆と思う一方、異民族を野蛮な生き物と扱っていたようです。世界史の歴史の中ではよくあることかもしれないですね。

 

王国の衰退

さてさてやはり、メソポタミアは統治できたとしても、長期政権を築くのは非常に困難であったらしい。

2つのポイントに分けてみていきましょ。

 
エラム人との長期に渡る戦い

 

エラムの地とはペルシャ湾の東に位置する土地であるが、

メソポタミアの延長の土地だと考えられてきた。度重なる戦いはアッカド王国を衰退させたといいます。

 

 
グディ人の侵入

 

おそらく最大の要因はこちらであろう。アッカドはグディ人の侵攻を止めることができず、遂にグディ人の王ティリガンに 支配される。しかい、ウルク市の王ウトゥヘガル王はティリガンを撃破することに成功。しかし、これは一代限りで幕を閉じてしまい、次は将軍であったウルナ ンムと言われ人物始めたウル第三王朝である。

ウル・ナンムが行った偉業を特に素晴らしいのは法典を世界で初めて制作したことである。

小林登志子『シュメル 人類最古の文明』159頁によると、

ウル・ナンム法典(ウル・ナンムほうてん)は、メソポタミア文明のウル第三王朝・初代王ウル・ナンムによって発布された法典。 紀元前1750年頃のものとされるハンムラビ法典よりおよそ350年程度古く、影響を与えたと考えられる、(現存する)世界最古の法典とされる。

 

 有名なハンムラビ法典は「目には目を、歯には歯を」でしられますが、ウルナンム法典では「目には金銭で贖う」と規定されていたようで・・・

ウルナンムのほうが先進的用に思えますね。

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