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人類最古の文明メソポタミア~文明の始まり~

 

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 灌漑農業のはじまり

我々祖先は世界へと散っていった。

やがて彼らは狩猟経済から農業経済へと変化を遂げていく(ドメスティケーション)。農業を覚えた彼らというのは、もう狩場を変えるためにわざわざ移動する必要がなくなっていくのである。

もともと、天水農業を行っていたが、雨だけに頼る方法はあまりに不安定で、さらに土地が弱ると移動をしなければならなかったので都市というのはまだ築けなかった。やがて灌漑農業という川から水を引いて溜池を作るなどの方法が生まれるてくる。

 

これは安定した食料の確保、つまり、定住生活の始まりを意味します。

 

また、農耕牧畜社会が出来上がると、食料の過剰生産が可能になってくるわけです。

これは、働かなくていい人が生まれる、つまり、支配階級の誕生を意味するのです。では、このドメスティケーションを完成させやがて、文明が始まります。

 

その最初の地はメソポタミアという地域であり、そこに文明を築いたのが、民族系統不明のシュメル人です。

 

 

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ではメソポタミアの地を北のほうから見ていきましょう。

  北の地域はアッシリアという地になります。

この南部のことをバビロニアと言い、この地域はさらに二つに分けることができ、北をアッカド 南をシュメルと言います。

文明はメソポタミアシュメルの地で始まったとされています。シュメルは低地帯で、ペルシャ湾に面している地域です。そして、左右を見てみると、大きな川があるではありませんか!

 

さて、彼らがメソポタミアで見た両脇にある川は何だったのでしょうか。

 

チグリス・ユーフラテス川です。

 

シュメル人たちはここにやってきてこれらの川を用いて農業を始めればよいのだと人類は気づいたのです。彼等の言う通り、メソポタミア南部は現代でもアメリカの学者ブレンステッド「肥沃な三角地帯」と言ったほどたくさんの養分の詰まった土地だとされました。

しかし、両川とも氾濫がおこす川であったのです。このメソポタミアの洪水は恐れらつつも期待されていたといいます。

それは、

 

洪水なので、当時の人々にとってはその自然の驚異になすすべがなく甚大な被害を被っていたことが研究で明らかになっている一方、農耕を営むひとにとってはこの洪水がとにかく農耕において重要であるか らです

 

バビロニアでは夏と冬での寒暖差が激しく、晩春の洪水によって農耕の準備を行っていたからです。その際に上流から、非常に栄養価の高い土壌をバビロニア の土地に持ち込んでくれたのです。つまり、この地域での農業は非常に成功しやすかったわけですね。そのすごさとして、この時代のGDPの過半がこのバビロ ニアに集中していたといいます。

つまり、

文明の始まりで大きな役割を果たしたのは、このユーフラテス・チグリス川だったわけです。これらは、飲料用水・灌漑用水(農業のための水)、交通路、食用の魚・水鳥をシュメル人にあたえてくれたわけですね。

 

両川さらによく見ていきましょう。

チグリス川

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1つ目はチグリス川ギリシャ語では虎をを意味し、アベェスタ語では矢(ゾロアスター教の経典、アヴェスターで使われている言葉)を意味したことから流れが速く、そして突然川が氾濫をする地域であるとされていました。

 

ユーフラテス川

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一 方もう一つの川はユーフラテス川、流れがはかなりゆっくりであり、別名ウドゥ川と言われ、銅の河と訳されます。なぜ銅の河と言われるのか、それは、当時の 文明の金属は銅が主流であり、ペルシア湾で採掘された銅が、このユーフラテス川通ってここのあたりまで交易として運ばれてきたのです。ですから、シュメル人の諸都市は自然 とこの河畔に集中していきます。

 

そして生まれた最初の都市はウルクといいます。

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次回は古代文明メソポタミアの詳細に迫っていきたいと思います。

まず一つ目として

 

文字

 

です。

 

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